雅孝の手が落ちた。
武道は間に合わなかった。 最初の拳が顎を捉え、横に吹き飛んだ。 地面に叩きつけられ、観客が叫んだ。 武道は立ち上がった。
そのパターンがずっと続いた。 雅孝が殴り、武道が倒れ、また立ち上がり、また雅孝に殴られる。 視界の端が何度も白くなりました。 足が言うことを聞かなくなってきました。 でも倒れるたびに、武道はまた立った。 その一つの事実が、観客の声を変え始めたのです。
最初は静かになった。 それから何か迷うような空気になった。 それから、もっと別の何かになった。
雅孝の拳は速く、重くなっていった。 でも武道には分かった。 その力は自信じゃなかった。 焦りだった。 痛みの中でも、その違いが感じられたのです。 血を吐いて雅孝の顔を見上げたとき、武道にははっきり見えた。 雅孝は焦っていました。
篤志は輪の端に立っていました。 手をジャケットの中に入れ、何かを握っていました。 武道が五回目か六回目に倒れるのを見て、ナイフを少し引き出した。 でも、止まった。 観客はもう雅孝を応援していなかった。 誰も応援していなかった。 みんなただ、武道がまた立ち上がるのを見ていたのです。
篤志はナイフを戻し、目をそらした。
「止まれ」と篤志は声を上げました。 「もう十分見せた。俺たちみんなに見せてくれた。もういいんだ、武道。諦めろ。」
武道は片膝をついていた。 篤志の方に顔を向けた。 血と土で汚れた顔だったが、その下には折れていないものがあった。
「できない」と武道は言った。 声はボロボロだったが、はっきりしていた。 「理由があるから。諦められない。」
雅孝を見た。
「勝ちたいなら」と武道は言った。 「俺を殺すしかない。俺は止まらないから。」
観客はすっかり静まり返った。
雅孝はしばらく武道を見つめた。 それから輪の端にいる誰かに手を伸ばした。
「バットを持ってこい」と言った。
観客の中にざわめきが広がった。 これは素手の勝負のはずだった。 誰も言葉にしなかったが、みんな分かっていた。 雅孝が今やろうとしていることは、まったく別の話だということも。
「そこまでにしておけ。」
声は輪の外から聞こえてきました。 落ち着いた声でした。 声を荒げる必要がないような人の、そういう落ち着き方でした。
観客が左右に割れた。
最初に歩いてきたのは、頭を剃った背の高い少年だった。 その存在感だけで、周りの人間が自然と一歩引いた。 輪の端まで来て、雅孝を見た。
「怖がらせてるぞ」と彼は言った。 「バットを下ろせ。」
その後ろから、もう一人が来ました。 背は低く、手をポケットに入れ、紙袋から何か食べていました。 顔はほとんど無表情で、歩き方もゆっくりしていました。 でもその顔を見た瞬間、観客の中の何人かは息を呑みました。 そしてお辞儀をしました。
頭が波のように下がっていった。 一人、また一人、輪の周り全体で。
拓也が誠の腕を掴んだ。 「あの人、誰だ?」
「佐野万次郎だ」と誠はささやきました。 「東京卍會の総長だよ。」
「背の高い人は龍宮寺堅だ」と一志が言いました。 「副総長。」
輪の端にいた不良の一人が前に出て、万次郎に自己紹介を始めた。 万次郎はその横を一瞥もせずに通り過ぎた。
「興味のない人間には話しかけない」と堅が誰にともなく言いました。
雅孝は背筋を伸ばして、丁寧に万次郎に挨拶した。
万次郎はその横も通り過ぎた。
堅の足が一度、短く正確に動いた。 雅孝は腹を抱えて倒れた。
「もっと深くお辞儀しろ」と堅は言いました。
万次郎は輪の中に入り、武道の前にしゃがんだ。 本当に興味を持ったものを見るような目で、武道を見ました。
「名前は?」と万次郎は聞きました。
「武道」と武道はどうにか答えた。 「花垣武道。」
万次郎はゆっくりと繰り返しました。 「タケミっち。」 少し首をかしげました。 「本当に中学生なのか?」
武道にはうまく答えられなかった。
万次郎は立ち上がりました。 「今日から」と言いました。 「お前は俺の友達だ。」
武道は万次郎を見つめた。
万次郎は雅孝の方に向いた。 雅孝はまた立ち上がっていた。 「ここで試合を仕切ってるのか?」
「はい」と雅孝は慎重に答えた。
万次郎は雅孝の顔を蹴った。
その後のことは、短くて、徹底的だった。 万次郎が終わると、手を払って輪の中を見回した。 まるでちゃんと見るのが初めてのような顔で。
「つまらない」と万次郎は言い、歩いて出て行きました。
堅は雅孝を見下ろし、それから観客を見ました。
「俺たちの名前を汚すな」と言って、後を追いました。
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一志は武道が完全に立つ前に腕を掴んだ。 「今のは本当に起きたのか?佐野万次郎が、お前の友達だって言ったのか?」
「言った」と誠は確認しました。 声が高くなっていました。 「あの人が来て、タケミっち、お前は俺の友達だって言ったんだ。」
「俺は雅孝の奴隷だったのに」と武道はゆっくり言った。 「今は雅孝の十倍怖い人の友達になってしまった。」
一志と誠は堅と万次郎が言ったことを何度も繰り返し、どんどん盛り上がっていきました。 武道は静かに立ったまま、怪物が笑顔で自分を見ていたらどういう感じかを考えていました。
篤志が横に来ました。 周りの興奮とは違う、静かな声でした。
「刺そうとしてたんだ」と篤志は言いました。 「雅孝を。お前が倒れたまま起き上がらなかったら、そうするつもりだった。そうしなければ、俺たちはずっとあいつの奴隷になってしまうから。」 少し間を置きました。 「でもお前は倒れなかった。だから俺はやらなくてよかった。」 横目で武道を見ました。 「俺たちはもう奴隷じゃない。それはお前のおかげだ。」
武道は頷いた。 顔全体が痛かった。 何も言わなかった。
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朝になると、日向は学校から二ブロック先の角で待っていました。 武道の横に並んで歩き始め、その顔を見て、明らかなことは言わないと決めたような顔をしました。
「今日、デートしよう」と日向は言いました。 「塾の前に。時間があるでしょ。」
「ある」と武道は答えた。
一時間目のほとんど、武道は黒板を見ていたが何も見えていませんでした。 万次郎に会えた。 直人に言われたことはそれだった。 東京卍會に近づいて、これから起きることを変える方法を探せ、と。 でも近づくだけでは足りないのです。 鉄太がどこで話に入ってくるのか、見つけなければなりませんでした。 全部が狂い始める場所を見つけて、そこに自分を割り込ませなければならない。 でも、それがどういう形になるのか、まだ分かりませんでした。
廊下から音が聞こえてきた。 声が上がり、それから重い音がした。 体が壁に当たる音だった。 それから静かになった。
教室のドアが開いた。
万次郎がドアの枠に寄りかかり、手をポケットに入れ、気楽な顔をしていました。 教室の中を軽く見回し、武道を見つけて言いました。 「出てきて遊ぼう。」
教室の全員が武道を見た。
武道は廊下に出た。
三年生が何人も廊下に伏せていた。 堅がその上に立ち、簡単な仕事を終えたような顔をしていました。
「うるさかったから」と堅は説明しました。
「並べ」と万次郎は三年生に気軽に言いました。 三年生たちは廊下の横幅いっぱいに、肩を並べてうつ伏せになりました。 万次郎と堅はその上を歩いて渡りました。 靴が上着や足に丁寧に触れました。 三年生は動かなかった。
「一緒に来い」と万次郎は武道に言いました。 「遊ぼう。」
「忙しい」と武道は言った。
「授業中だろ」と堅が言いました。 「それは忙しいとは言わない。」
「俺は——」
「武道。」
振り返った。
日向が十歩ほど離れたところに立っていました。 万次郎を見て、廊下に伏せている三年生を見て、武道のボロボロの顔を見ました。 日向の顔に何かが動き、一つの決意になりました。
日向は前に歩いてきて、万次郎の顔を叩いた。
廊下が完全に静まり返りました。
日向は武道の手を取って引っ張った。 「行こう。」
堅の手が日向の腕を掴みました。 強くはなかったが、動かせなかった。 日向は止まりました。
「彼女を離してくれ」と武道は言った。 前に出て、堅の腕に手を置きました。 「諦められないものがある。彼女はそのひとつだ。離してくれ。」
堅は武道を見ました。 堅の顔はいつでも読みにくいのに、今日は特に読めなかった。
万次郎は叩かれた頰に手を当てました。 武道を見る目には、何か面白そうな光があるかもしれなかった。
「友達になれたのに」と万次郎は言いました。 「どう死にたい?」
「一つだけ約束してほしい」と武道は言った。 声は落ち着いていた。 「彼女には手を出さないでくれ。それだけだ。」
万次郎はしばらく日向を見ました。 それから手を下ろし、その様子が少し変わりました。
「女は殴らない」と万次郎は言いました。 少し怒ったような声でした。 「冗談だよ。」
堅は日向の腕を離しました。 武道を見て、その表情が少しだけ変わりました。 温かいとは違うけれど、何かを認めるような目でした。 「俺を脅すのは普通賢くない」と堅は言いました。 「でも大切な人を守るのは、古い話だが、俺は尊重する。」
日向は武道の方を向きました。 顔に三つのことが同時に出ていました。 それから万次郎を見ました。
「ごめんなさい」と日向は言いました。 「いじめられてると思って。」
「いいよ」と万次郎は言いました。 「あまり無理しないで。」
日向は武道の手を握りました。 「一緒に行って。デートはまた別の日にするから。」 武道をしっかり見ました。 これは仕方なくじゃなくて、自分から渡しているということを、分かってほしいという目でした。 それから手を離して、歩いて行きました。
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午後、三人は自転車で町を走りました。 武道は前を行く万次郎をずっと見ていました。 自転車の乗り方、雅孝をほとんど怒りもせずに倒した様子、自分の拳を途中で止めて笑った様子。
直人が未来の東京卍會について話してくれたとき、武道は寒気がしたのです。 犯罪組織。殺人事件との関係。日向の死。終わりの見えないこと。
「なんで俺なんだ?」と武道は風の中で声を上げた。
万次郎が振り返った。「何?」
「なんで俺が友達だと決めたんだ?俺のこと知らないだろ。」
万次郎は少し考えました。 答えを探しているのではなく、いつ言うか決めているような感じでした。
「兄貴がいた」と万次郎は言いました。 「十歳上で、無鉄砲なやつだった。勝てない相手に喧嘩を売って、ボコボコにされても何度でも戻っていった。」 少し間を置きました。 「お前を見て、思い出したんだ。」
数秒間、二人は黙って走りました。
「今は不良なんて情けないって思われてる」と万次郎は言いました。 「恥ずかしいこと、早く卒業すべきことだって。でも兄貴が生きていた頃は、ヤンキーもバイカーズもいろんなグループがいて、しょっちゅう喧嘩してたけど、自分たちで後始末もしていた。仁義があったんだ。情けなくなかった。」 前を見ました。 「俺はそういうものを作りたい。新しい時代を。お前にも参加してほしい。」
堅が武道の横に並んで走ってきました。 「喧嘩ができる人間はたくさんいる」と堅は言いました。 「でも諦められないものがある人間、血が出ても手放さないものがある人間は、珍しい。」
武道は答えなかった。 万次郎の後ろ姿を見ながら、この人が日向を死なせた人だとは、どうしても思えないと考えていました。 形が合わないのです。
何かが万次郎を変えたのかもしれない。 これから何かが変えてしまうのかもしれない。
武道はその何かを見つけて、先に行かなければならなかった。
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太陽が低くなる頃、武道は一人で家に向かって歩いていました。 夕方の景色はいつも通りでした。 家に帰る人たち、自転車に乗った子供たち、もう電気がついているコンビニ。 同じことをぐるぐると考えながら歩いていると、向こうから来る男たちのグループの横を通り過ぎました。
武道は歩みを止めなかった。 でも何かが気になって、振り返った。
その中の一人。 その顔を、どこかで見たことがある。 武道はそう確信したのです。 その確信が胸の中で冷たく座っていました。 でも、どこで見たのか、いつ見たのか、まだ思い出せませんでした。
武道は前を向いて歩き続け、思い出そうとしていました。